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2007年07月14日
08:09 厳島神社
木江地区にある厳島神社
本来はここに作る計画だったそうだ。
一度 資料として作ろうとしたことがあったが、そのままにしているので、調べなおして形にしていきたい。
櫂伝馬と厳島神社の関係
堺市の隣には、住吉大社がある。これは海神を祭ってある。
大三島にある大山祇神社も海神を祭ってある。
http://www.go-shimanami.jp/shisetsu/omishima/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/大山祇神社
瀬戸内海になぜ住吉大社関連の祭が多いのか、不思議でならなかった。(今はわかったが)
厳島神社・・・・
※東野地区の櫂伝馬は住吉大社に
※木江地区の櫂伝馬は厳島管弦祭
同じ櫂伝馬でも対象が違うことに留意。
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2007年07月14日
08:22
takai
対岸にある大山祇神社。宮島にある大元神社は大山祇神社と深い関係にあるようです。
宗像一族が、厳島神社を開く前から、大元神社はあったとされますが、詳しい年代は誰も知りません。
昔の覇権争いの結果と考えられます。
その対抗馬の大山祇神社の対面に厳島神社があるのは、大変興味深いことなので、是非調べてください。
ちなみに、宮島の大元神社は弥山を仰いでいません。
2007年07月14日
10:01
takabow
こんな関係を教えて頂き、ある面、重要なことを今まで見落としてきたと思いショックです。
グーグルマップで地理的位置を確認しました。
確かにこれは対岸に位置していますね。
地理的要因だけではないのでしょう。
廻船と同様、テーマとして考察してみようと思います。
明日は、大阪で大三島の方とミーテングをします。
櫂伝馬同様、リンク付けできると思います。
2007年07月14日
10:56
takai
以前、疑問に思い大山祇神社の宮司さんに聞きに行ったことがあります。もちろん、ノーコメントと言って笑っていました。
元々は、大山祇神社の一族が瀬戸内海の実権を持っていた。
しかし、中国との交易などで力をつけた宗像一族が瀬戸内海の覇権を取るために攻め込んで来た。昔は、奈良・京都・熊野に行くには、瀬戸内海の海岸線を進むのが一番安全な方法だったので、その重要な地点厳島をとりに来るのは当然でしょうから。当時は、宗教もさることながら権力闘争ですから、軍隊を持っていたでしょう。一説には、推古天皇・聖徳太子は南方系の種族とも言われています。(沖縄族)。神武天皇の東征。汐待をする港は重要だったと思います。
http://www.geocities.jp/kituno_i/sub3.html
参考にはなるやも
2007年07月14日
18:32
takabow
中々大変な作業で年号を追いかけて頭で整理しているのですが、今 気がついたのですが、大三島の宗方(むなかた)は、宗像一族と関係があることを暗示しているのでしょうか?
まさか こんな古くまで遡なければいけないとは思いませんでした。
日本総鎮守といい神武天皇の東征といい、時代がどんどん遡っていきます。
神話の時代までいくのだろうか?
しかし、これは本当に凄い神社だ。
2007年07月14日
20:22
takai
http://nippon-shinwa.com/ichiran.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/hist01.htm
参考になるやら。
また、大三島の管一族は菅原道真?の末裔です。
2007年07月14日
22:21
takabou
紀元前711年2月13日神武天皇
今から2600年前からの歴史・・・・(-"-)
当時 どんな船で九州から畿内まで日程的に何日ぐらいかかったのか、 興味が尽きません。
テーマがあまりに深すぎて、
日本書記がまだまだ新しい資料だと思いだしました。
神話時代の人まででてくるとは、
知恵熱がでます。
2007年07月15日
11:09
takabou
大崎上島の神社
http://www.town.osakikamijima.hiroshima.jp/higashino-es/kagakukan/oosakikamijimaminwa.htm
木江厳島神社
市杵島姫命が最初に上陸
矢弓厳島神社
市杵島姫命が木江から船を廻してひと休み
大串厳島神社
厳島明神が大崎上島を出られる時は,いずれも大串の外浜より船出された
古江八幡神社
中野八幡神社
明石八幡神社
大山祇神社のお使いがお参りをされたという神社
作られた年号、経緯を調べれば面白そうです。
カバーする年代が日本の歴史になるため、これは大変です。
鳥居に関しても方角とか密接に関係があると思い検索しましたが、日本固有のものだとは、知りませんでした。
子供の歴史の本をめくって追いかけていきましたが、付け焼刃では、対応できません。
家の近くにある仁徳天皇稜も違った感覚で見えてきました。
あくまでわかっている簡単な年号図
御祭神大山積大神は天照大神の兄神で山の 神々の親神に当り(古事記・日本書紀)天 孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命 の父神にあたる日本民族の祖神として、和 多志大神(伊豫國風土記)と申し上げる。 海上安全の守護神である。 地神・海神兼備の大霊神として日本の国土 全体を守護し給う神であるところから古代 より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民 の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、 五社詣の中心となり、平安時代既に市が立 ち現在に続いている。 御分社は、全国に一〇、〇〇〇余社祀られ、 延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮 に定められた。 明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一 の大社として尊崇されている。 厳島神社 大山祇神社 593年 地の有力豪族であった佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まると伝わる。 594年 594年(推古2年) 摂津国三島江から大三島瀬戸に移る 701年 伝701年(天宝元年) 現在地(大三島宮浦)に移る 719年 伝719年(養老3年) 遷宮の儀 861年 木江厳島神社 勧請 1168年 平清盛が現在の社殿を造営した。平家一門の隆盛とともに当社も盛えた。 1322年 1322年(元亨2年)戦火に遭い本殿、拝殿焼失 1378年 伝1378年(天授4年)(1575年(天正3年)) 本殿、拝殿再建 1427年 伝1427年(応永34年)本殿再建(向拝実肘木墨書) 1543年 1543年(天文12年) 大三島合戦、鶴姫戦死 1555年 毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置き、当社を崇敬するようになってから再び隆盛した。 1602年 伝1602年(慶長7年) 拝殿建築
その後大三島の関係者の方とお話ができました。
歴史背景の確認をしましたが、神話の時代まで遡ることになります。
大山祇神社の存在意義はあまりに大きく深いことを改めて認識しました。
藤原水軍が有名ですが、それよりももっと前から瀬戸内海で重要な(日本の歴史において)役割を担ってきた。
瀬戸内海の地図をご覧いただければお分かりになると思いますが、風除け港として、木江港も宮浦港も各々が補完しあう存在ではなかったか?
中継点に大横島があるではないか。
古文書の話題、明治時代に出土された銅鏡、そしてそれ以外に、おそらく畿内の古墳よりも重要なキーワードが何らかの形で隠れているだろう。
また日本史になぜこの島があまり登場してこないのか?
自然のままがいいと選択された○○さんの真意とは?
1世紀頃の船の形状で黒潮ルートにのって、鹿児島、宮崎から、四国を横切り、三重まで航海が可能なんだろか?
大型物流が可能になる時代ではないことから、高度な技術をもった人、渡来人の存在が神に近い存在になったのではないだろうか?
などなど。
瀬戸内文化圏 この言葉がでてきたときは、嬉しかったです。
つまり、今の都道府県による縦割り行政が存在しない過去は、もっと柔軟に動けた時代がかっては瀬戸内海にあったこと。
共通の文化の下地がありながら あたかも別々のものとして理解しかできなくなった我々は悲しい存在ではないか。
話はかなり飛んでしまいますが、こうしてインターネットを通して情報をあげるのは、ある面、義務感、宿命を感じる訳で、この事実はどう感じるか?
「消すのではなく、後世にちゃんとした資料を残してあげたい。」という思いは共通でした。
具体的行動もでてきました。
内容の深い寝れない2日感でした。
改めてヒントを下さったtakaiさんと、なおきさんに、感謝いたします。
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